「法隆寺」は なぜ美しいのか:飛鳥時代の建築様式

1400年前に建てられた現存最古の木造建築
金堂・五重塔を中心とする西院伽藍夢殿を中心とする東院伽藍で構成。
平成5年に日本最初の世界文化遺産として登録された。国宝・重要文化財多数。

法隆寺は なぜ美しいのか。法隆寺を支える檜の力。今なお人々を魅了するのはなぜか?

非の打ち所のない揺るぎない美しさにパルテノン神殿を彷彿させる。プロポーションも美しい。自信満々に建っている。建築が強い。
回廊の効果がはっきりわかる。法隆寺の構成配置は大小の建物を散らして配置し、回廊で一つの空間にまとめている。大きさと密度がちょうど良い。
回廊は、空間に枠、絵を額に入れる感じ。内側の空間を引き締め、周りとの境界線の役割を果たす。完璧な構成。
丹下健三さんの東京都庁舎の回廊らしき部分は影響を受けている。

檜の力。風化しても檜の質感が暖かい。柔らかさ。風化すると数ミリの幅でまんべんなくヒビが入る。触っても風合いがやわらかい。中国も韓国も基本的には建築に松を使う。
檜は、火をおこす木「火の木」油分が多いからよく燃える。神社で火をおこす時は檜を使う。寺や神社に檜を使うのは、強くて粘りがあって、加工がしやすく、狂わない、腐らない、建材として最高の木。
法隆寺が現代まで残ったのは檜の良材を使ったから。縄文時代の建築は主に栗、弥生時代になって檜を使い始めた。
松だと、雨の多い日本では、湿気で腐っていたし、虫に喰われた。檜を建築に使う国は日本だけだった。
金堂が昔焼けたとき、宮大工の西岡常一さんが燃えた材を挽いてみた。そしたら、千四百年前の檜から香りがどーッと出てきたようです。日本の檜は素晴らしい。

法隆寺の柱は真ん中がふくらんでいて太い。「胴張り」といって法隆寺にしかない異例な技術。全体的に、角ばった柔らかさ。
自然の木の姿をかたどって、上にいくほどに細くなるデザインの「エンタシス」とは異なる。ギリシャ神殿はもともと石造だと思われているが、様式の成立当初は木造建築だった。
戦後、1949年に法隆寺金堂壁画火災。建物は少し焦げたことになっているけど、実際はほぼ全焼。建材が当時のものとは明らかに違う。
回廊の床のコンクリートの本来の姿は三和土(タタキ)石灰と砂利と粘土ににがりをまぜたもので、ヒビが入りやすいもの。白砂利は当時からあった。
中門の真ん中にある柱は聖徳太子の怨霊を閉じ込めるためという説は疑わしい。聖徳太子は仏教徒。心ある仏教徒は成仏しているから化けて出ない。
大宝蔵院の玉虫厨子(たまむしのずし)は胴が真っ黒。線香の油煙のススで。線香は仏様のご飯だから絶やしてはいけないので。金銅仏も線香で燻製。表面は炭素。
塑像のちょっとしたポーズが良い。基本的に正面なのに、ものすごく彫りが深い。くぼんだところに色が残る。色や箔が剥離しても良い感じ。
日本人は、風化に美学を見いだしていったのとは対象的に、東南アジアでは今でも金粉をバンバン塗って、仏像に対し風化を認めない。
百済観音は、昔は古びた建物の裏側に何もおさまらずに立っていたが、TVのドクメンタリー番組で取り上げられてから地位が上がった。百済観音堂は平成10年に「安住の殿堂」としてできた。法隆寺の1番人気。全国的には興福寺の阿修羅像が人気。
大講堂の薬師三尊蔵、平安の仏像は横から見ると扁平でなくて厚みがある。正面から拝むのが大事。

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