2016年に鳥取でM6.6の地震が発生。「東京本社でも揺れを感じたが、そちらはどうだ」との連絡が入る。当時、大東建託の鳥取支店で管理建築士をしていた。当日は道路の陥没等もあり状況確認は難航。翌日、被害の大きかった倉吉市に自社物件の被害調査に行った際、被害を受けた在来工法の住宅の隣で、無傷で凜々しく建っている伝統構法の住宅を目撃し衝撃を受けた。私は仕事柄、ツーバイフォー構法を推奨しており、日本の構法は西洋に劣るとさえそれまで思っていた。これには何か秘密があるに違いない。理由があるはずだ。先入観を捨てて、現実と向き合い解明してみよう。そして今、私は萩の文化財保護課に在籍する。幸い、萩は空襲被害が少なく伝統構法の建物が多く存在する。事例を通して、先人が幾多の地震災害を通して築きあげてきた伝統建築技術に秘められた叡智を謙虚に学ぶべきではないか。先人が残してくれた文化遺産から学ぼう。謎が解けるはずだ。そして、先人の優れた伝統技術は、発展させ、次の世代へ継承していこう。

まず、「在来工法」とは、文明開化で導入された洋風木造を土台に「お上」の権威のもとに体系化された「官」の技術であるという点において、昔からの経験や技術の蓄積をもとに大工棟梁が培い逐次新しい様式や技術を旺盛に取り入れながら徐々に発展を遂げたいわば「民」の技術である「伝統木造」とは似て非なるものであることを、明確に認識しておかなければならないだろう。

平成21年(2009年)10月27日、兵庫県三木市の防災科学技術研究所の世界最大級の振動台に、実物の3階建て木造住宅二棟を載せて実際の地震動を加えて揺するという大規模な実験がおこなわれた。一方は、長期優良住宅仕様をさらに上回るように耐震補強されたまさに超優等生の「耐震木造住宅」もう一方は、特別な対策を施していない普通の「伝統構法の住宅」であった。多数の見学者が固唾をのんで見守る中、二棟の建物に激しい揺れを加え始めると、特別頑丈に造られた耐震住宅は一階が傾き始めたかと思うと、次の瞬間にバランスを失い一瞬にして倒壊。実験施設の頑丈な床に叩きつけられて壁も柱も粉々に吹き飛び、周囲に猛烈な粉塵が舞い上がった。それと対照的に濛々たる埃の中、伝統的な木造家屋は激震に耐えて何事もなかったかのように建っていたのである。不都合な真実が白日のもとにさらされた一瞬であった。前代未聞の映像は、人々におおきな衝撃を与えたが、正しい報道はされなかった。この事実は、私が2016年の鳥取地震被害調査の際、被害を受けた在来工法の隣に無傷で建っていた伝統構法を目撃した衝撃を裏付けるものであった。

平成7年の「兵庫県南部地震」M7.2の直下型地震以降、「伝統木造建築」への信頼が大きく損なわれた。この地震での全壊家屋は約八万棟、そのほとんどは木造家屋の倒壊による圧死という。一部の専門家は「伝統木造建築」の屋根は重く、土壁は脆弱で、そもそも耐震性などは全くない、「伝統木造建築」は欠陥建築であると執拗に主張しはじめた。しかし、神戸は典型的な戦災復興都市、昭和20年の神戸大空襲では128回の爆撃で12万5千余棟が完全に消失。木造家屋の大多数は、戦後の建築基準法や同施工令に基づく「在来木造」ばかりで、戦前からの「伝統木造建築」はすでに空爆で焼失しており、まず存在しなかった。このような歴史的経緯をたどれば、「伝統木造建築」が大量倒壊して、多くの犠牲者を出したとする一部の学者の主張は全く根拠がないことは明らかである。正しくは、戦後の基準で建てられた「在来木造」家屋は激震に耐えられなかったというべきなのである。家屋地震被害の責任を「伝統木造建築」に転嫁する言説は、今日の木造家屋が抱える深刻な耐震的リスクの本質を見誤らせ、次の地震で同様の惨事を繰り返すことにつながる。報道等を鵜呑みにせず、真実を見極めていく必要がある。

私たちが学ぶのは過去からであり、私たちが創るのは未来。

民家を読む~昔と今を未来につなぐ

□日本の家造りのエッセンスは、すべて古民家の中にある→「民家を読む」→昔と今を未来につなぐ
□日本人は、宝石を捨てて砂を拾っている:カールベンクス。
□伝統の部材や技術は、貫、足固め、土壁、通し柱、石場置き、折置組、架構と間取りの開放性(可変性)
□伝統とは、常に新しい息吹を吹き込まれて、次の世代に引き継がれていくもの
□木造の民家は、美しく合理的な架構を持ち、潜在的にモダニズムにつながる簡潔さと現代性を併せ持っている
□民家は現代のコンクリート造や鉄骨造につながる。なぜなら、柱は梁とつながっているので動かせない。
□現代住宅の間取りは構造から解放された、お茶室や数寄屋の流れにある:建築史家・伊藤ていじ
□日本建築(屋根の建築)とヨーロッパ建築(壁の建築)

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