日本建築
鍵屋:一杯飲み屋、「出桁造り」、町家の伝統を受け継ぐ

1856年(安政3)酒問屋として建てられた。明治、大正、昭和初期まで酒の小売りを営み、昭和初期から店の片隅で夕方だけ一杯飲み屋を始め、戦後の1949年本格的に居酒屋として営業を始めた。金杉通りと言問通りがぶつかる角近く( […]

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子宝湯:震災後に建てられた銭湯建築、伝統建築と西洋が混在する東京型銭湯の特徴。

昭和4年(1929年)足立区千住元町に小林東右衛門が建築。町屋と西新井にも同名の子宝湯を建築し、全部で5軒の銭湯を経営。当時、1軒の銭湯を建てる相場は2万円程度であったが、千住の子宝湯には4~5万費やし、気に入った大工を […]

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仕立屋:「出桁造り」「格子戸」「摺上げ戸」江戸以来の商家(町家)の形式

「出桁造り」の民家で、腕木が壁に取り付き「出桁」と呼ばれる軒先の桁を支え、出桁が垂木を受ける。正面の「格子戸」や、上げ下ろし式の「摺上げ戸」が、江戸以来の商家(町家)の形式を伝えている。大正期の仕立屋(戦後は八百屋)。弟 […]

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万徳旅館:「出桁造」「杉皮葺」「栗の木を使用したトチ葺き」「与次郎組」と呼ばれる登り梁の小屋組

江戸時代に建てられた青梅街道沿いにあった旅館。平成5年まで営業を続けた。木造2階、杉皮葺き(復元にあたり防火のため波板鉄板を葺いている)の切妻屋根。正面の1階庇は、耐久性の高い栗の木を使用したトチ葺き。富山の薬売りなどの […]

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小寺醤油店:「出桁作り」、欅1枚看板、刎高欄、袖蔵壁面は黒ダイヤ

昭和初期の店舗併用住宅。創業者の為吉は、醤油醸造元で10年修行後、店を出す。日本酒が主な商品で、醤油や味噌、清涼飲料水、調味料、缶詰も売っていた。酒、味噌、醤油は「量り売り」だった。裕福な人が多く住む白金台で繁盛したとい […]

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川野商店(和傘問屋):「出桁造り」、江戸以来の町家の正統的特質を継承

重厚な屋根の造りや、江戸以来の町家の正統的特質を継承する格子戸などの造作が特徴。切妻造り、桟瓦葺き、出桁造り。屋根勾配が急で、屋根の存在感が大きい。伝統的な簓子(ささらこ)下見板張りの板壁、鬼瓦を包む肉厚の漆喰影盛、垂木 […]

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大和屋本店(乾物屋):「出桁作り」の「看板建築」銅板を意匠的に用いるのも看板建築の特徴

鰹節という金文字の看板が目立つ。「出桁作り」という江戸以来の商店建築形式を踏襲しながら、間口に対して軒高が極めて高い、関東大震災後の東京に建てられた3階建ての「看板建築」。構造材小口以外に銅板を意匠的に用いるのも看板建築 […]

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武居三省堂(文具店):正面が平面的「看板建築」屋根は腰折れ「マンサード屋根」

昭和初期、神田須田町に建てられた店舗併用住宅。木造建築の正面は、衝立(ついたて)のように平面的な、いわゆる「看板建築」。正面は、外壁をタイル張り、側柱・戸袋廻り・庇などを銅板で包んでいる。屋根は腰折れの「マンサード屋根( […]

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花市生花店:「看板建築」「メダリオン」「デンテイル」「大坂格子」ハイカラと伝統が渾然一体

「看板建築」の花屋。当時、花売りは、野山の花を摘んで籠や荷車を使って売り歩いていた。花市生花店では、華道の先生や料理店を得意先としていた。建物前面を立て板状にし、防火対策を図り、銅板をはった「看板建築」。2階窓下の4枚の […]

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植村邸(時計店):完成度の高い「看板建築」2階和風、全体洋風「デンテイル」「刎高欄」伝統の証を残したい

建物ファサードは全体が銅板で覆われ、緑青が重厚な外観を形つくる。軒下の「デンテイル」、中央頂部の装飾、2階窓下の「刎高欄」(はねこうらん)など、銅板職人の精緻な技術が見れる。2階以上を左右対称とし、1階部分を非対称とする […]

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丸二商店(荒物屋):「看板建築」「コーニス」「江戸小紋」伝統の証を残したい

昭和初期、神保町に建てられた「看板建築」荒物とは、笊(ざる)、箒(ほうき)、塵取りなどの日用必要な生活道具は何でも揃ったという、いわばホームセンター。客とは対話を大切にしていたそうだ。長屋が隣接。長屋とは、小規模な住宅を […]

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復元縄文住居

縄文時代の竪穴住居を復元。小屋組をサス組として棟を受け、小屋組とその下の柱や梁を分けた造り。屋根は下地にヒノキの樹皮を使い、その上を土で盛る。土が雨で流出しないよう芝を植えている。中の広さは4人が膝を曲げて横になれるくら […]

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村上精華堂(化粧品屋):「看板建築」「オーダー(イオニア式)」大胆な和洋折衷

「看板建築」の見所は、大胆な和洋折衷と個性的なファサード。寄棟造り桟瓦葺きの和風屋根の3階バルコニーで洋風な全体像の和洋折衷。西洋建築の原点ともいえるギリシャ・ローマ建築で用いられた「オーダー(イオニア式)」が意匠的に使 […]

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上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部

火の見櫓(やぐら)。三脚4層式外廊下型。約23.6mの高さがあった。1925年建築され1970年まで使用された。

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万世橋交番:煉瓦造りの交番「組積式構造」関東大震災以降の東京では姿を消す

神田万世橋のたもとにあった「煉瓦造り」の交番。この付近は市電の路線も集中し、東京でも有数の繁華街であったという。江戸時代以前から、日本建築は、柱・梁による架構式構造であった。明治期の西洋建築の導入に伴い石造や煉瓦造などの […]

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伊達家の門

伊達家が東京に居住するために建てた屋敷の表門。大正時代に建てられた。江戸時代の門であるかのような風格を持つ。総欅造り。規模は三間一戸、屋根は本瓦葺き。正面右手のみにむくり屋根を持つ番所がおかれ、全体的に左右対称。

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会水庵:宗徧流(そうへんりゅう)茶室、桟瓦葺の屋根と銅板葺の庇が大正から昭和にかけての特徴を現している

宗徧流(そうへんりゅう)の茶人:山岸宗住(会水)が施主となり、新潟県長岡市に建てた茶室。江戸時代から藩主の茶道が宗徧流であった。この茶室は、三畳台目と勝手からなる。床が下座となる下座床、床柱は赤松の皮付き。手前座の二重釣 […]

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高橋是清邸:「和洋折衷」「火灯窓」「桟唐戸」(禅宗様、大仏様)「床の間」「ガラス」

政治家の高橋是清邸。7度の大蔵大臣のほか総理大臣も経験するが、1936年の2.26事件で2階の部屋で暗殺されるまでの30年余りを過ごす。食堂は、南に出窓を持ち、床材は寄木張り洋風だが、長押や欄間などの和風の要素もあり、「 […]

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田園調布の家(大川邸):「居間中心型の平面形式」大正後期に成立し、昭和初期に浸透

寄棟造り、桟瓦葺きの和風屋根と、ドイツ下見張り(表面が垂直になるように張る)の洋風壁。最大の特徴は、「居間中心型の平面形式」玄関を入るとすぐに居間があり、食堂、書斎、寝室が配される。大正後期に成立し、昭和初期に浸透してい […]

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デ・ラランデ邸:スレート葺きのマンサード屋根と、下見板張りの外壁が特徴

明治時代の気象物理学者の北尾次郎が自邸として、木造平屋、寄棟屋根瓦葺き、下見板張りの洋館を設計し居住したが、1910年頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより木造3階建てちして大規模に増築された姿。スレート葺きのマ […]

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常盤台写真場:文化住宅(戦前期の都市建築)「搭状エレベーター」「数寄屋風」「勾配天井」

板橋区常盤台は、理想的な道路網やインフラ設備を備えた健康住宅地として分譲され、建築内規により、文化住宅が建ち並ぶ住宅地となった。木造2階建て、外壁をリシン仕上げ。外観は左右非対称、交差点角部分を「搭状」にしている。軒の水 […]

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旧案野酒場:山口市徳地島地

旧案野酒場:山口市徳地島地 ①紙問屋「伊勢屋」時代:嘉永年間(1848〜1854)北川氏が紙商を開始。当時、徳地の紙は全て伊勢屋に納められた。 明治38年伊勢屋は廃業。その後、個人経営で継承されたが昭和9年に廃業。②「案 […]

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根津美術館」趣のある日本的デザインが魅力的!

「根津美術館」趣のある日本的デザインが魅力的!2023年5月30日 ○「根津美術館」は、東武鉄道などの社長を務めた実業家・初代根津嘉一郎氏の古美術品を保存、展示するために作られた美術館。昭和16(1941)年に開館し、昭 […]