青木周弼(あおきしゅうすけ)旧宅(国指定史跡 萩城城下町)
青木周弼:周防大島町の医者の家に生まれ、漢方医学を学ぶ。江戸でオランダ医学を学び、長崎に遊学。評判を聞き、毛利敬親は医学館の教官に任命。医学書の翻訳、医学教育に尽力。
天明家(農家):江戸時代の豪農の暮らしぶりが伝わる民家
鎌倉時代に下野国(しもつけのくに:栃木県)から武蔵国(むさしのくに:東京大田区鵜の木)に移り住んだと伝えられ、江戸時代には鵜の木村の名主役などの重職を勤めていた。明治時代には役場として使用された。「玄関の間」の前面には式 […]
鍵屋:一杯飲み屋、「出桁造り」、町家の伝統を受け継ぐ
1856年(安政3)酒問屋として建てられた。明治、大正、昭和初期まで酒の小売りを営み、昭和初期から店の片隅で夕方だけ一杯飲み屋を始め、戦後の1949年本格的に居酒屋として営業を始めた。金杉通りと言問通りがぶつかる角近く( […]
子宝湯:震災後に建てられた銭湯建築、伝統建築と西洋が混在する東京型銭湯の特徴。
昭和4年(1929年)足立区千住元町に小林東右衛門が建築。町屋と西新井にも同名の子宝湯を建築し、全部で5軒の銭湯を経営。当時、1軒の銭湯を建てる相場は2万円程度であったが、千住の子宝湯には4~5万費やし、気に入った大工を […]
仕立屋:「出桁造り」「格子戸」「摺上げ戸」江戸以来の商家(町家)の形式
「出桁造り」の民家で、腕木が壁に取り付き「出桁」と呼ばれる軒先の桁を支え、出桁が垂木を受ける。正面の「格子戸」や、上げ下ろし式の「摺上げ戸」が、江戸以来の商家(町家)の形式を伝えている。大正期の仕立屋(戦後は八百屋)。弟 […]
万徳旅館:「出桁造」「杉皮葺」「栗の木を使用したトチ葺き」「与次郎組」と呼ばれる登り梁の小屋組
江戸時代に建てられた青梅街道沿いにあった旅館。平成5年まで営業を続けた。木造2階、杉皮葺き(復元にあたり防火のため波板鉄板を葺いている)の切妻屋根。正面の1階庇は、耐久性の高い栗の木を使用したトチ葺き。富山の薬売りなどの […]
小寺醤油店:「出桁作り」、欅1枚看板、刎高欄、袖蔵壁面は黒ダイヤ
昭和初期の店舗併用住宅。創業者の為吉は、醤油醸造元で10年修行後、店を出す。日本酒が主な商品で、醤油や味噌、清涼飲料水、調味料、缶詰も売っていた。酒、味噌、醤油は「量り売り」だった。裕福な人が多く住む白金台で繁盛したとい […]