1856年(安政3)酒問屋として建てられた。明治、大正、昭和初期まで酒の小売りを営み、昭和初期から店の片隅で夕方だけ一杯飲み屋を始め、戦後の1949年本格的に居酒屋として営業を始めた。金杉通りと言問通りがぶつかる角近く(鶯谷駅近く)で夕方5時から深夜2時過ぎまで営業し、常連やサラリーマン、落語家や芸人、著名人も多くで賑わった。軒先の桁を壁に取り付いた腕木が支える「出桁造り:だしげたつくり」と呼ばれる形式。みせ部分の出入口はガラス戸の内側に設けられた「摺上戸:すりあげど」が江戸以来の商家の形式を伝えている。根太と床梁が露出する根太天井。壁の上部の吊り棚、階段下の押し入れなど狭い空間を工夫して利用するのも町家の伝統を受け継いだ特質。