日頃の萩での活動や調査を基に、現在進行形で制作中のサイトです。

萩の世界遺産:明治日本の産業革命遺産

日本は19世紀の後半から20世紀の初頭にかけて急速な産業化を実現し、産業国家の土台を形成しました。
平成27年(2015年)7月、世界遺産(文化遺産)に登録された「明治日本の産業革命遺産ー製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業ー」は、8県11市の広域に点在する23資産で構成されています。その内、「エリア1.萩」として「萩の産業化初期の遺産群」として、①萩城下町、➁萩反射炉、➂恵美須ケ鼻造船所跡、④松下村塾、⑤大板山たたら製鉄遺跡が登録されています。

①萩城下町1600年の関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元が萩城を建設し、城下町として整備。
➁萩反射炉鉄製大砲の鋳造のための金属溶鉱炉を試作的築造し実験。長州藩の海防強化の一環。
➂恵美須ケ鼻造船所跡ロシア式技術移入の軍艦「丙辰丸」、オランダ式技術移入の「庚申丸」が進水した。
④松下村塾長州藩兵学者の吉田松陰が主宰した私塾。日本の近代化への、多くの逸材を輩出。伊藤博文、高杉晋作、久坂玄瑞、山県有朋など
⑤大板山たたら製鉄遺跡砂鉄を原料に木炭を燃焼させて鉄を作っていた江戸時代のたたら製鉄の跡。
萩城詰丸跡からの眺望
萩反射炉
恵美須ヶ鼻造船所跡
松下村塾
大板山たたら製鉄遺跡
松下村塾講義室復元
松下村塾講義室復元
松下村塾講義室復元
松下村塾講義室復元

長州ファイブ

江戸末期、列強のアジア進出に危機感を感じた長州藩は、欧米の優れた知識や技術の九州を目的として1863年、若き5名をイギリスに派遣した。鎖国下の日本から命をかけて海を渡った彼らは、産業革命を実体験し、工業化の必要性に目覚め、攘夷運動の限界と開国の重要性を痛感し、帰国後、各々が近代国家形成に大きく貢献。功績をたたえ「長州ファイブ」と呼ばれる。

伊藤博文内閣の父:工業国家日本の礎を築く【松下村塾門人】
井上薫鹿鳴館建設:日本工業化の最先端機関である大阪造幣局の建設者
遠藤謹助造幣の父:貨幣鋳造技術の近代化に尽力。(自力で銅貨の鋳造法を確立)造幣局局長。
井上勝鉄道の父:日本の鉄道建設と技術者養成に尽力。日本初の新橋・横浜間の鉄道開通に尽力。
山尾庸蔵工学の父:日本の体系的工学教育を確立。工部省設立や工学教育の確立に尽力した。
高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞
山縣有朋、木戸孝允(桂小五郎)、伊藤博文
品川弥次郎、山田顕義
天野清三郎(渡邊萬藏)、野村和作

重要人物

吉田松陰維新の先覚者:1854年密航を企て、拒絶され投獄。斬首を免れ、松下村塾を主宰し、外国事情を門人に熱く説く。
繰り返し熟読した「坤輿図識」は幕末日本で最高水準の世界地理・歴史書。
欧米列強がなぜ強大な軍事力をもつに至ったかを研究し、技術者の育成こそが重要だとの結論を得る。
藩士以外の職人たちにも門戸を開くことが必要と論じる。工学教育を提唱した先駆者。
高杉晋作幕末の風雲児:藩校明倫館に通う一方で松下村塾に通い、久坂玄瑞と共に「松門の双璧」と称される。
身分を問わない日本初の軍事組織「奇兵隊」を結成し幕末戦争を勝利へと導いた。
久坂玄瑞松陰は久坂を「防長年少第一流の人物」と高く評価。蛤御門の変で若くして無念の死を遂げる。
山縣有朋明治22年に第3代内閣総理大臣に就任。伊藤博文亡き後は、最大の発言力をもつ元老として軍や政界に大きな影響力
を有し、「長州閥」の頂点に君臨した。
木戸孝允藩校明倫館での松陰門下生。大久保利通、西郷隆盛、戸並ぶ「維新三傑」の一人。諸藩の志士と交わり尊皇攘夷運動
に奔走し、中央集権国家の樹立に貢献した。
正木退蔵現在の東京工業大学の初代校長。文豪R.Lスティーブンスンに師松陰の情報を提供し、世界最初の松陰伝"YOSHIDA-TRAJIRO"を著した。
渡辺蒿蔵藩命により米英に留学して造船技術を修得した後、工部省に入って官営長崎造船所(現三菱重工長崎造船所)の初代局長に就任。
日本の造船事業の近代化に貢献。

萩の史跡

青木周弼旧宅、木戸孝允旧宅、旧久保田家住宅、旧田中別邸、桂太郎旧宅、旧湯川家屋敷、渡辺蒿蔵、伊藤博文別邸、旧宅、玉木文之進旧宅、松下村塾、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

旧山村家住宅 浜崎地区のまち歩きの拠点

旧山村家住宅は、2棟の主屋、2棟の土蔵、離屋からなる、江戸時代後期に建てられた大型の町家です。この地方には珍しい「表屋造り」という建築方法を用いた美しい白壁の建物。(表屋造りとは、店棟(=表屋)と居住棟を前後に分け、この […]

旧山中家住宅 浜崎伝建地区の伝統的建造物(文化財)

浜崎の典型的な町家 浜崎町並交流施設昭和初期建ての典型的な浜崎の町家。浜崎伝建地区の中心部に位置し、浜崎本町筋から裏のとおりまで抜ける細長い敷地に、表から主屋、付属屋、土蔵が建ち並んでいます。平成16年、所有されていた山 […]

旧児玉家長屋

萩城三の丸の平安古総門に隣接していた児玉家は、萩藩寄組に属し2243石余の大身武士であった。建物は木造平屋建て、桁行32.67m、梁間4.59m、屋根は桟瓦葺きで、入母屋造り、道路沿いの外回り壁は白壁、腰はなまこ壁とし、 […]

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

松下村塾 世界遺産

幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。天保13年(1842)に松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、後に松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門が継承し、子弟の教育にあたりました。そして安政4年(1857)、2 […]

玉木文之進旧宅(萩市指定史跡)

旧宅は、松下村塾や松陰誕生地とほど遠くない所に位置。玉木文之進は、吉田松陰の父である杉百合之助の末弟で吉田松陰の叔父にあたり、杉家から出て玉木家を継いだ。学識に優れ、幼少の松陰の代理教授として明倫館に出勤。文之進の指導は […]

伊藤博文別邸(萩市指定史跡 伊藤博文旧宅地)

伊藤博文公が明治40年に東京府大井村に建てられたは、車寄せを持つ玄関の奥に中庭をはさんで向かって右に西洋館、左に書院を配し、さらにその奥に離れ座敷、台所、風呂、蔵を備えた広大なものであった。往時の面影をよく残す、玄関、大 […]

渡辺蒿蔵(こうぞう)旧宅(景観重要建造物)

渡辺蒿蔵の居宅として明治中期に建設。広大な敷地に江戸期の建築とされる長屋門、明治中期に建設された主屋と土蔵、その後、増築された茶室、露地風の日本庭園などがある。大型の屋敷形式の建物として貴重な歴史的景観を形成。

旧湯川家屋敷(萩市指定史跡)

藍場川の最上流に位置。川沿いに長屋門があり屋敷の中へは、橋を渡って入る。主屋には玄関・座敷と茶室などがある。茶室廻りの意匠は特に優れる。藍場川の水を屋敷内に引き入れ、流水式の池水庭園をつくり、池を出た水は家の中に作られた […]

桂太郎旧宅(萩市指定史跡)

桂太郎が少年時代を過ごした地に、明治42年(1909年)に建設されたもの。主屋は派手さを抑え、小規模なもので、藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむために造られている。藍場川の水を引き込んだ「流水式池泉庭園」は建物にやや遅れて […]

旧田中別邸(重要伝統的建造物群保存地区:萩市平安古(ひやこ)地区)

敷地は藩政時代の毛利筑前下屋敷に位置。明治以降は萩に夏みかんの栽培を広めた小幡高政により、現在の主要建物の骨格が完成。大正後半から、総理大臣を務めた田中義一の所有となり、文部大臣などを歴任した田中龍夫の没後、萩市に寄贈さ […]

旧久保田家住宅(萩市指定有形文化財)

久保田家は、江戸時代後期に近江から萩に移って菊屋家の向かいに呉服商を開き、2代目の庄次郎から酒造業に転じた。来萩した名士の宿所としても利用される。意匠、構造、技術に優れ、萩城城下町を形成する建造物として極めて重要。建築年 […]

木戸孝允(桂小五郎)旧宅(国指定史跡)

木戸孝允(桂小五郎)の実父、和田昌景の家。木戸孝允はこの家に生まれ、8歳の時に近隣の桂家に養子にいって桂小五郎と名乗る。

青木周弼(あおきしゅうすけ)旧宅(国指定史跡 萩城城下町)

青木周弼:周防大島町の医者の家に生まれ、漢方医学を学ぶ。江戸でオランダ医学を学び、長崎に遊学。評判を聞き、毛利敬親は医学館の教官に任命。医学書の翻訳、医学教育に尽力。

文化遺産から学ぶ

□蔀戸(しとみど)
蔀戸は、分割された戸板を状部に引き上げたり、跳ね上げて吊ったりして開閉する形式の戸板。萩市でも商家や漁家などで比較的最近まで用いられていた。全部の戸板を容易に取り外し、全面開放出来ることは、商いをする上で、重要な要素であった。


蔀戸(しとみど)旧山村家
蔀戸(しとみど)

□伝統建築物の耐震性 平成14年(2002年)
伝統的建造物群保存地区である萩市浜崎地区の軸組木造住宅群を対象に地震安全性評価のための現地調査が実施された。(山大助教授:村上ひとみ他)構造詳細調査を実施した5棟について、限界耐力評価法にて耐震性能評価を行い、桁行方向の壁量が少なく変形が大きいなど、構造特性と問題点を明らかにした。耐力増大に関して、①既存土壁と横架材の隙間を壁土にて閉塞する。②荒壁パネルを採用する。又、減衰性向上のデバイスとして③仕口ダンパー(20cmタイプ)を使用する。更に、地震時に柱が束石から外れないように補強を行うことが有効との結果を伝える。

ダンパー取付(旧山中家)
壁の増設

□鍵
鍵を手で表現する時、人差し指を曲げるのは、まさにこの形。
萩に鍵曲がりがあるが、この鍵に由来するのであろう。

月輪寺薬師堂(がちりんじ)山口市徳地上村

□浜崎(伝統的建築物群保存地区)
浜崎で見られる町屋は、それぞれ建てられた時代も違えば、営んだ商売も違うが、通りに沿って建ち並ぶ姿には、統一された美しさがある。それは、時代にも商売にも関係なく浜崎の町屋に受け継がれてきた変わらないルールがある。

文化財保護の取り組み

□ 旧山中家井戸家改修工事:浜崎

浜崎の典型的な町屋で、昭和初期に建てられる。浜崎伝建地区の中心部に位置し、浜崎本町筋から裏のとおりまで抜ける細長い敷地に、表から主屋、付属屋、土蔵が建ち並ぶ。いずれも、伝統的建造物(文化財)として特定されている。平成16年に山中氏が市に寄付され、町並交流施設として整備された。
山中氏は、かつて海産物を取り扱い、関西方面の問屋とも取引があり、明治~昭和初期の品々が展示され公開されている。
今回、強風により倒壊した井戸小屋の復旧を図る。

□ 志賀家わたり塀修繕:浜崎

浜崎地区に位置し、江戸時代後期に建てられた大型の民家。2棟の主屋、2棟の主屋、離屋で構成、美しい白壁の建物で、珍しい「表屋造り」。「表屋造り」は、店棟(表屋)と居住棟を前後に分け、その間に玄関庭を設ける町屋の建築様式で、当時の豪商が好んだ洗練された造り。今回、塀の復旧を図る。

□ 花江茶亭屋根下り棟修繕:堀内

指月公園内にある趣のある茶室。安政の初め(1854)ころ、13代藩主・毛利敬親が三の丸内の橋本川沿いにあった別邸 花江御殿(山手御殿・常盤江御殿)内に造った茶室で、幕末、時勢を論じ、国事を画策した。
木造入母屋造り茅葺き平屋建てで、桁行6.84m、梁間3.62m、本床と脇床がついた4畳半の茶室と、3畳の水屋からなる。移築の際、湯殿と便所は取り除かれ、瓦葺きの平屋1棟が控の間として増築された。今回、屋根下り棟の復旧と瓦屋根の軒先の修繕をする。

□ 史跡大板山たたら製鉄遺跡獣害防止柵設置工事:萩市大字紫福

砂鉄を原料に、木炭を燃焼させて鉄を作っていた江戸時代のたたら製鉄の跡。鉄の原料である砂鉄と燃料の木炭を炉に入れ鞴(ふいご)を用いて行うこの製鉄法は「たたら」といい、日本の伝統的な製鉄方法。
大板山たたら製鉄遺跡が現地に設置されたのは、周りに炭の原料となる豊富な山林があったから。現地では宝暦期(1751~64年のうちの8年間)、文化・文政期(1812~22)、幕末期(1855~明治初め)の3回、稼働。
主要施設(元小屋・高殿・砂鉄掛取場・鉄池・鍛冶屋等)の遺構がよく保存されており、建物跡などの遺構が露出した形で整備されている。大板山のたたら場で作られた鉄は、恵美須ヶ鼻造船所で建造された「丙辰丸」の釘や碇などの部品にも使用された。今回、獣害防止柵設置と管理ゲート設置、テキサスゲート設置、わたれませんLIGHT設置、ガイドパイプの延長を検討している。

□ 堀内明倫館石垣保存修理工事:堀内

毛利氏は大江匡房や広元を祖とする家柄で、学問を重んじる伝統を持ち、享保3年(1718)、5代藩主毛利吉元が明倫館を創建。
江戸時代に全国で300近くあった藩校のうち12番目に出来たもので、三の丸(堀内地区)の旧明倫館は940坪の敷地内に、孔子、孟子などの木主を納めた大成殿を中心に配置され、左右に剣術場、槍術場、砲術場などの武道場が館の外周を形成していた。藩主吉元は、明倫館初代学頭の小倉尚斎とともに幕府大学頭林家の塾である昌平黌に学んだ林家朱子学の正系。
「明倫館」の名称は、当時の侍講、2代学頭となった山県周南が名付けたものです。出典は「孟子」の滕文公編(上)の三章。
「上に立つものが教育の力によって人間の道を明らかにして教え導けば、下、人民はみなそれに感化されて互いに親しみあい国は大いに治まる(皆、人倫を明らかにする所以なり)」
萩藩校明倫館は、設備、教育内容ともに全国でも有数の藩校でした。今回、乱れた空石積みの積み直しを検討している。

□ 口羽家住宅井戸上屋修繕:堀内

永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士 口羽家の住宅。萩城下に残る上級武士の屋敷としては古く、かつ全国的にも比較的数の少ない武家屋敷の一遺例として貴重。主屋と表門が国の重要文化財に指定されている。
主屋は18世紀末から19世紀初め頃に建てられたもの、切妻造り桟瓦葺きで、入母屋造りの突出部を付けている。表門は、白壁となまこ壁のコントラストが美しく、萩に現存するものとしては最も雄大な規模を有する長屋門で、入母屋造り本瓦葺きです。江戸藩邸の門を拝領して萩に移築したもの。今回、井戸上屋の野地葺き替え、杉皮葺き替えを検討している。

□ 松浦家土塀保存修理工事:堀内

□ 松野家主屋保存修理工事:浜崎

老朽化した外壁の張り替えと建具の取付を検討している。

□ 福原家屋敷門

萩藩永代家老・福原家(11,314石余り)の本拠は本領の宇部にありましたが、当主は萩藩の重臣として平素は萩に住むのが常でした。門の形式は腕木門で、両袖に潜り戸がついています。屋根は切妻造り本瓦葺き、桁行8m、梁間2m、棟高4.5mの長大なもの。木割は雄大で、特に柱の上下や冠木に打たれた飾り金具に模した木彫りの飾りは面白く、建立は江戸中期と思われます。萩に現存する武家屋敷の門は、ほとんど門番所のある長屋門ですが、門番所のないこの形式は貴重なものです。今回、腐朽した門を根継ぎにより健全化を検討している。

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