明治政府の威光を世に示す!
背後のビル群とのコントラスト!時代は更に先へ。

※クイーン・アン様式:19世紀末の英国における住宅で、赤煉瓦、白い窓枠、出窓や破風の多用などの特徴をもつ様式。正確には、「ゴシック・リバイバルにおける自由でアンシンメトリカルなマスのグルーピングやプランニングと、17~18世紀の英国、オランダの赤煉瓦建築の全範疇から取られたディテールとの結合であって、そこに16世紀のフランスーフランドル建築のタッチが加わったもの」とされています。元は、アン女王治世の17、18世紀のコストの安いヴァナキュラーな赤煉瓦建築を参照したもの。
※ヴァナキュラー "vernacular" とは、言葉や病気や建築様式などが、その土地や時代や共同体に「特有の」「固有の」「世俗の」という意味の英語

□19世紀、どの様式が正当かの論争もおこり、単純な新古典主義に対抗するように生まれた中の一つであるゴシックリバイバルも、やがて、インターナショナルスタイル(国際様式)の時代となり、合理主義、機能主義、科学技術にもとづく工業化のモダニズムの時代にはいっていきました。資本主義下の経済合理主義にもピタリと一致したものでした。

近代建築の父、辰野金吾のクイーン・アン様式風

:赤いレンガに白い花崗岩の帯が印象的な、東京の表玄関である東京駅。
日本人初の建築家の一人、辰野金吾の設計。明治初期、渡欧した政府高官たちは、石とレンガでつくられた町並みに驚嘆し、工部大学校造家学科(東京大学工学部建築学科)が創設され、英国人建築家ジョサイア・コンドルが招かれました。その1期生が辰野金吾でした。
:卒業後、英国に留学した彼は、当時流行していたネオ・バロック様式や、クイーン・アン様式を学び、明治国家の威信を示す重要な建築物に、さまざまな建築様式を部分的に取り入れる折衷スタイルが特徴でもあるクイーン・アン様式をさらに金吾風にアレンジした、レンガ造の様式を採用しました。当時、すでに日本でも鉄筋コンクリート造の建築物がつくられていましたが、あえて、レンガ造の様式にしたのです。明治政府の威光を世に示す必要がありました。
:天皇陛下が利用する駅である東京駅、建物の中央部に皇族専用口が設けられています。
:各階ごとに窓のデザインを変えるのがクイーン・アンの特徴です。
:様式建築の特徴である付け柱や柱頭はイオニア式の渦巻き型です。
:塔屋やドームが立ち上がるデザインは辰野金吾の特徴です。
:白い花崗岩と赤煉瓦の縞模様が建物のベースのデザイン。白い窓枠が引き締めています。

陛下の出入り口の正面は何者も遮る事は出来ない!ビルも正面をよけて建っています。
ヨーロッパに強い憧れを抱いていたのでしょう。もしも日本建築で建てたなら、防災に強い蔵のような建築になっていたのでしょうか。日本は大工がしっかりしていたから、木と漆喰と漆さえあれば、何でもできてしまう。想像が膨らみます。
イギリスにいる頃から親日家のコンドル先生は様式の融合を楽しめる(旧岩崎邸のように)ルール無用な人であったので、このごちゃまぜ建築をみて喜んでいたのであろう。
皇族の出入り口
ドームの天井。配色はシンプル。
たまたま近くで、食品の物産展をやっていた。
おいしそうだったので、記念にこの柿記を買いました。種がなかった。

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