昭和4年(1929年)足立区千住元町に小林東右衛門が建築。町屋と西新井にも同名の子宝湯を建築し、全部で5軒の銭湯を経営。当時、1軒の銭湯を建てる相場は2万円程度であったが、千住の子宝湯には4~5万費やし、気に入った大工を郷里の石川県から連れてきたという。入り口の唐破風の下にある「七福神の宝船」の彫刻だけでも2階屋が建つ経費だという。男湯・女湯の背景の壁には富士山のペンキ画。男湯には「義経と弁慶の五条大橋の風景」「那須与一」、女湯には「猿蟹合戦」「雀のお宿」のタイル画がある。玄関には「高砂」のタイル画。それぞれに「章仙」の名が書き込まれており、タイル絵師の石田庄太郎氏の作品で東京銭湯のタイル画を数多く手がけた。銭湯は地域社会の重要な「場」の一つであった。入母屋造りの大屋根と、その下に張り出す玄関の唐破風、そして多彩な彫刻。入母屋造りの妻飾りとして格子を縦横に組んだ「狐格子(木連格子、妻格子ともいう)」、破風には「蕪懸魚鰭付(かぶらげぎょひれつき)」が取り付く。賑やかな装飾と寺社建築を思わせる外観は、震災後に建てられた銭湯建築の特質をよく現している。天井は折り上げ格天井、脱衣場の外には濡れ縁、その端に外便所。日本の伝統建築の空間を思わせる脱衣場に対し、浴室は洋風の雰囲気が強い。浴槽と床はタイル貼り、壁面は堅板張りとタイル貼り。天井の中央部に高窓採光、男女浴槽境部に西洋古典建築を思わせる柱頭飾りを持つ柱が立つ。東京型銭湯の特徴。

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