昭和初期、神保町に建てられた「看板建築」荒物とは、笊(ざる)、箒(ほうき)、塵取りなどの日用必要な生活道具は何でも揃ったという、いわばホームセンター。客とは対話を大切にしていたそうだ。長屋が隣接。長屋とは、小規模な住宅を横に連結して建てる住宅で江戸の町に成立し、戦前に至るまで東京庶民の一般的な住まいであった。ファサードは銅板張り、ユニークなデザインのパラペット、「コーニス:軒蛇腹と胴蛇腹」(建物の各層を区切る装飾的な水平帯)。銅板張りの「江戸小紋」のパターンとして、隅柱部分は「亀甲」、ガラス欄間上部は「青海波」、2階外壁部分は「網代」、パラペット廻りは「一文字」。震災後に出桁造りに変わって、看板建築が次々に建てられ、概ね洋風の意匠をまとっていた。一方、江戸以来続いてきた伝統の証(あかし)をどこかに残したいという思いが、「江戸小紋」であったのだろう。

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